
言いすぎた。誤解を招いた。自分のほうに非がある。
そう分かっているのに、「ごめん」と言えないことがあります。
メッセージを打っては消し、相手の顔を思い浮かべながら、こんなことを考えてしまいます。
「今さら謝っても遅いかもしれない」
「向こうも悪かったのでは」
「謝ったら負けたように感じる」
頭では謝るべきだと分かっているのに、なぜ人は素直に謝れないのでしょうか。
謝れないのは、間違いを認めるのが怖いから
謝ることは、ただ言葉を伝えることではありません。次のような現実を、いったん引き受けることでもあります。
- 「自分の判断は正しくなかった」
- 「相手を傷つけたかもしれない」
- 「自分の立場が下がるかもしれない」
人は、自分を一貫した存在として見ていたいものです。普段は誠実な人だと思っているのに、誰かを傷つけたと分かると、そのイメージが揺らぎます。
だから謝ることを避けて、事実よりも先に、自分の中の「悪くない自分」を守ろうとするのです。
謝ると、関係が壊れそうに感じることもある
謝らなければ、少なくともその場では、話を終わらせられます。でも謝ると、相手の反応が返ってきます。
- 「本当にそう思っているの?」
- 「どうしてあんなことを言ったの?」
- 「もう許せない」
そんな言葉を聞く可能性が生まれます。
謝罪は、関係を直す行為であると同時に、相手にもう一度向き合うことでもあります。だから、謝ったほうがいいと分かっていても、怖くなります。
言ってしまった言葉は、割れたコップのように戻せない
一度口にした言葉は、取り消せません。割ってしまったコップが、元どおりにならないのと同じです。してしまったことも、過去に戻って消すことはできません。
それでも、人は過去に縛られたままではありません。「ごめん」と言い、「いいよ」と返してもらうことで、止まっていた関係をもう一度動かせます。
「謝ったら負け」という見方とは違う角度から、「許し」を、人間関係をもう一度動かす力として考えた哲学者がいます。20世紀の哲学者、ハンナ・アーレントです。
アーレントにとって、許しは「なかったことにする」ことではありません。起きたことを認めたうえで、そこから先を、同じままにしないための行為でした。
少し難しく聞こえるかもしれませんが、要するに、謝ることは自分を小さく見せることではなく、過去の出来事に、未来まで支配させないための一歩なのです。
謝れないときの、いくつかの方法
方法は一つではありません。合いそうなものを選んでみてください。
- 立派な謝罪文を、作らない。 「何が悪かったか」「どこまで説明するか」「言い訳に聞こえないか」と考えるほど、タイミングを逃してしまいます。短い一言で十分です。
- 言い訳を足さない。 「でも、あなたも〜」と続けたくなったら、そこで止めます。謝る言葉と、事情の説明は、分けておきます。
- 返事を、期待しない。 許すかどうかは、相手が決めることです。伝えるところまでが自分の仕事、と割り切ります。
- 重要でなければ、大がかりな謝罪はやらないと決める。 ほんの小さなすれ違いなら、軽いひと言を添えるだけで十分です。
短い一言なら、たとえばこんな形です。
- 「さっきの言い方はよくなかった」
- 「傷つけたと思う。ごめん」
- 「すぐに言えなくて申し訳ない」
これだけでも、相手に向き合う入口になります。大切なのは、自分が悪人ではないと証明することではありません。相手に起きたことを、なかったことにしないことです。
謝ることは、負けることではない
謝罪をすると、自分の立場が弱くなるように感じることがあります。
でも、謝らないまま時間が過ぎると、関係は少しずつ「何もなかったふり」に支配されます。表面上は普通でも、心の中には、片づいていない出来事が残ります。
謝ることは、相手にすべての責任を渡すことではありません。自分が引き受けるべき部分を、自分の言葉で引き受けることです。
次に謝るべきか迷ったとき、考えてみてください。
私は自分の立場を守りたいのか、それとも、この関係に次の時間を残したいのか。
修正版「なぜ、予定が空いていると、つい詰め込みたくなるのか?」(WordPressコピペ用)
休日の予定が空いていると、少し不安になる。
朝はゆっくりできるはずなのに、掃除、買い物、勉強、運動、友人との約束を入れてしまう。
予定が埋まると安心する一方で、休みが終わるころには、なぜか疲れている。
本当は、自由な時間が欲しかったはずなのに。なぜ私たちは、何もない時間を埋めたくなるのでしょうか。
休日の予定を、よく見てみると
さっきの予定を、もう一度見てみてください。掃除、買い物、勉強、運動。どれも、「何かの役に立つこと」ばかりではないでしょうか。
部屋がきれいになる。必要なものがそろう。スキルが身につく。体力がつく。
何かをしていれば、「今日は役に立つことをした」と思えます。反対に、何もしない時間には、目に見える成果がありません。誰かに褒められることもなく、終わったタスクも増えず、SNSに載せる材料にもなりにくい。
すると、「この時間に意味はあるのか」と考えてしまいます。休んでいるだけなのに、時間を無駄にしているように感じて、空白はすぐに予定で埋めたくなるのです。
「ちゃんと休まないと」の、本当の意味
「ちゃんと休まないと、月曜にもたない」。そんなふうに言ったことはありませんか。
ゆっくり寝るのも、散歩をするのも、「疲れを取って、仕事に備えるため」。休むことまで、何かの準備として説明している状態です。
この状態を、個人の性格ではなく、社会全体の問題として考えた哲学者がいます。ドイツのヨーゼフ・ピーパーです。
ピーパーは、仕事が生活のすべてを飲み込んだ世界を、「全面的な労働の世界」と呼びました。休むことさえ、「次の仕事のための準備」や「回復のための手段」としてしか意味を持てない社会、という意味です。
本来の意味での余暇(レジャー)は、何かのための手段ではない、とピーパーは考えました。それ自体として、世界を眺めたり、味わったりするための時間です。
少し難しく聞こえるかもしれませんが、要するに、暇な時間にいちばん落ち着かなくなるのは、「何もしないことには価値がない」という考え方が、すでに私たちの中に染み込んでいるからなのです。
予定を詰め込むのは、悪いことではない
もちろん、予定を入れること自体が悪いわけではありません。友人に会うことや、体を動かすことは、それ自体が楽しいこともあります。
大切なのは、その予定を「やりたいから」入れているのか、それとも「空白が怖いから」「役に立たなければいけないから」入れているのかを、見分けることです。
空白との、つきあい方
予定を全部なくす必要はありません。方法は一つではないので、合いそうなものを選んでみてください。
まずは、空白の時間を、自分を急かさない時間として選ぶ方法です。休日の2時間を、こんなふうに決めておきます。
- 何も決めずに散歩する
- 窓の外を眺めながら、飲み物を飲む
- 音楽を一枚だけ聴く
- 考えを整理するために、短くメモする
次に、予定を入れる前に、一度だけ自分に聞いてみる方法です。「これは、やりたいからか。役に立つからか」。やりたいからなら、そのまま入れてかまいません。
そして、「重要でなければ、やらないと決める」という方法もあります。いまの予定を見て、重要でないものを一つ、やらないと決めます。空いた時間は、無理に埋めなくて大丈夫です。
忙しさで、自分の価値を証明しなくていい
予定が多いと、「ちゃんと生きている」感覚を得やすくなります。でも、忙しさは、必ずしも充実と同じではありません。何かをしている自分だけが、価値を持つわけでもありません。
何も起きていない時間に、自分が何を考え、何を感じるのか。それを知ることも、自分の生活をつくる一部です。
次に予定を入れたくなったとき、考えてみてください。
この予定は、やりたいから入れるのか。それとも、何もない時間が、役に立たないように感じるから入れるのか。
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