家で仕事をしている。今日は上司もいないし、誰かに作業を見られているわけでもない。
それなのに、なぜか背すじを伸ばす。送る前のメールを、何度も読み返す。
ひとりで家にいるのに、会社にいるときと同じ服装をしないと落ち着かない。そんな人もいるかもしれません。
不思議なのは、実際には誰にも見られていないときまで、自分で自分をチェックしてしまうことです。
なぜ、誰も見ていないのに、「ちゃんとしなきゃ」と思うのでしょうか。
「見られているかもしれない」だけで、人は変わる
防犯カメラのある道を歩いているとします。いま、本当に誰かが映像を見ているかは分かりません。それでも、「変なことはしないでおこう」と思います。
カメラの向こうに人がいなくても、効き目は同じです。「見られているかもしれない」と思うだけで、行動が変わるからです。
仕事でも同じです。上司が画面を見ているわけではないのに、「仕事をしているように見える状態」を保とうとします。
面白いのは、誰かが「ちゃんとしなさい」と言っているわけではないことです。見られていなくても、見られているつもりで動いているのです。
「いつ見られているか分からない」刑務所の話
200年以上前、ある思想家が、こんな刑務所の設計を考えました。
- 建物の中央に、見張り台がある
- 囚人の部屋は、見張り台のまわりに並ぶ
- 囚人からは、見張り台の中が見えない
ポイントは、囚人から、見張りが本当にいるかどうか分からないことです。
テスト中に、先生が後ろに立っている気配がする。振り返らなくても、つい姿勢を正してしまう。そんな感覚に近いかもしれません。
囚人は、「いま、見られているかもしれない」と考えて、自分から行動をつつしむようになります。見張りが一日中いなくても、同じようにふるまい続けます。見られている「かもしれない」だけで、十分だからです。
この仕組みを手がかりにして、人が自分からルールに従うようになる過程を考えたのが、20世紀のフランスの哲学者、ミシェル・フーコーです。
少し難しく聞こえるかもしれませんが、要するに、最初は人に言われていたことを、いつのまにか、自分で自分に言うようになる、ということです。
たとえば、子どものころは「遅刻しないで」と親や先生に言われていました。大人になると、誰にも言われなくても、遅刻しそうになると焦ります。言われていたことが、自分の声に変わったわけです。
フーコーの考え方を借りると、「遅刻してはいけない」「ちゃんと仕事をしなければ」という気持ちも、自分の中にいつのまにか住みついた、見張りの一つかもしれません。
「ちゃんとしなきゃ」は、悪いものではない
もちろん、ルールが全部いらない、という話ではありません。「遅刻しない」「人に迷惑をかけない」は、社会生活に必要です。
見張りが助けになる場面もあります。約束を守る。締め切りを守る。それができるのは、自分の中に、ちゃんとした基準があるからです。
問題になるのは、誰も求めていないことまで、自分で自分に求め始めることです。
- 「メールは今日中に返す」は必要かもしれない。でも、「送る前に文章を5回確認する」は、本当に必要でしょうか。
- 在宅なのに、会社にいるときと同じ服装をしないと落ち着かない。
- 休憩しているだけなのに、後ろめたい。
- 返信が少し遅れただけで、「嫌われたかも」と不安になる。
どれも、誰かに頼まれたわけではありません。
なお、フーコーが考えたのは、学校や工場、病院など、もっと大きな社会の仕組みです。ここでは、その考え方の一部を、身近な場面に借りています。
自分への「見張り」と、うまくつきあう方法
方法は一つではありません。合いそうなものを選んでみてください。
- 「誰が求めているか」を考える。 本当に誰かに言われたことか、自分で足した基準かを、分けてみます。「上司に言われた」なのか、「自分でそう思っている」なのかで、重さが変わります。
- 「ちゃんと」の中身を言葉にする。 具体的に何をすることなのか、書き出してみます。「誤字がない」「期限を守る」のように書けると、やりすぎに気づきやすくなります。
- 「今日やらないと困るか」を聞く。 困らないなら、明日に回します。それで困ることは、案外少ないものです。
- 重要でなければ、何度も読み返さないと決める。 社内の軽い連絡なら、読み返しは1回だけにします。回数を決めておくと、何度も見直す手が止まりやすくなります。
「ちゃんとしなきゃ」と思ったとき、一度だけ立ち止まってみる。
いま、自分を見ているのは誰なのか。
その答えが「誰でもない」なら、少し肩の力を抜いていいのです。
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